『ネグレクト』

 著者の杉山春さんがここ数年、児童虐待をテーマに取材を進めているということは、文藝春秋のある編集者から聞いて知っていた。その編集者によれば、杉山さんは、現代の日本でなぜ児童虐待が増えているのかということを、歴史的背景までをもあわせて探ろうとしているとのことだった。その歴史的背景とは、第二次世界大戦にまでさかのぼるものだと。

 たとえばこの本に取り上げられているネグレクトのケースを、「ある」家族の物語にすぎない、特殊なケースだと言い切ってしまうなら話はそこで終わりなのだ。トンデモ親がいて、餓死させられた女の子がいました、ひどいね、かわいそうだね、チャンチャン。トンデモ親を“鬼畜”と呼んで世論を煽った週刊誌ジャーナリズムよ。君たちの了見はその程度なのだよ。

 杉山さんは、その家族の中に現代日本の病理を見出した。一つの家族の物語を丹念に掘り起こすことによって、この社会で女は、あるいは男は、そして子どもたちは、どのように位置づけられ、何を期待され、どのように息苦しく感じているのかをあぶりだす。

 児童虐待、すなわちマルトリートメント(=maltreatment)を発見し、適切な処遇をするのは思いのほか難しいものだということは、つい先ごろまで編集に関わっていた看護雑誌の短期連載にも言及されてあった。具体的なケースを前に、児童福祉司保健師が何をどう考えて行動したか、そこに組織の論理がどう関与したか、この本を読むとそれがよくわかり、胸が痛む。

 わたしが2年前の夏に書いた光が丘団地における母子関係についてのルポは、「新潮45」の編集者の机の上で今ごろ埃をかぶっているのだろうか。。。あそこで取り上げた数々のケースも一歩誤ると、事件化しかねない危うさを秘めていた。ただその危うさと虐待死事件にまで至るケースとの間には、何か決定的な隔たりがあるようにも感じる。それが何だったのか、これを読んでおぼろげながらわかったような気もする。問題は今も依然として存在するのではあるが、ノンフィクションにおける解決とは、一つにこの、読者が「気づく」ということなのではないかと思う。それが達成されたという点で、杉山春さんのこのルポルタージュは成功だ。難しいテーマをぶれることなく最後まで書き切った意志の強さと筆力に感嘆した。

 この本を読みながらふと、以前、夫婦別姓問題についてのルポに取り組んでいたとき、問題の根底には個人々々の死生観の相違というとてつもなく大きなテーマが横たわっているのだと気づいたことを思い出した。あの直感を今でもわたしは間違っているとは思わないし、深めていったらきっといいものが書けるんじゃないかなと思いつつ、テーマのあまりの大きさに恐れをなし、また面倒くさくもなって、それ以上、深追いするのをやめてしまったのだった。根気がないと何物も成らない。がんばらないけど諦めないという姿勢を、これからは堅持していこうと思います。
 

ネグレクト 育児放棄―真奈ちゃんはなぜ死んだか
杉山 春
小学館 (2004/11)
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ISBN:4093895848