『死体はみんな生きている』

 これは月刊「ナーシング・トゥデイ」(日本看護協会出版会)7月号の新刊で取り上げる本です。もうすでに原稿は書いて送ってしまったのですが、雑誌の原稿は文字数に制限があり、この本のいいところや、この本から考えさせられたことなどをあまりうまく紹介することができませんでした。
 この本は、ちょうどわたしと同じぐらいの年代(40歳代前半)の女性ライターが、人間の死体が利用されているさまざまな現場へ赴き、そこで行われていることをつぶさに観察し、実際に死体を扱っている人にインタビューしたことを綴ったルポルタージュです。サイエンスライターだそうですが、専門用語はほとんど使われていません。翻訳がいいのかもしれませんが、非常に平易な表現で一般読者向けに書かれています。また、ライター本人が感じたことなども正直にユーモアたっぷりに吐露されています。
 人間の死体をテーマに一般書としてルポを書いたのはなぜなのだろう?という疑問を私はまず抱きました。私自身もルポを書く身。常日頃考えているのは、誰に対して何をどう伝えるかということです。雑誌はおのずから読者ターゲットが定まっていますが、単著の場合は書き手次第というところがある。著者は、人間の死体を追うことによって何を知りたかったのか? またそれを一般読者に伝えようと思ったのはなぜなのか? 
 随所に、目の前のこの死体が自分だったらこれは嬉しいことなのだろうかとか、遺族がこの様子を見たらどう思うだろうかといったことが書かれていて、たぶん(もしかしたらこの本のどこかに明示的に書いてあったかもしれないのですが・・・書いてあったような気がする・・・)著者は、死んだら自分はどのようになるのだろうかという関心に導かれて取材に行ったのだろうと思われました。
 死後の自分への関心から死体について取材したのであれば、死体はbodyで、確かに一つの物体にすぎないとしても、そこは生前、自分の魂が宿った場所であり、何か懐かしい感じがつきまとう。死体というモノに感情を付着させずにはいられないふつうの人間の感覚を、この著者は最初から最後まで堅持していました。さまざまな例、中には相当グロいケースもあるのですが、そういうものをいくつ見ても、ふつうの人間の感覚は失われないようでした。そしてそういう著者から率直に問われれば、毎日のように人間の死体を扱っている人々も、精神性をもつbodyへの敬虔な気持ちを語るのです。この本が好奇心むき出しの悪趣味から救われているのは、bodyについて書きながらも、そこにまつわる人間の感情を無視せず真っ直ぐに捉えた点にあるかと思います。また、死体がテーマであるのに、ここには踏み込んだ死生観が一切書かれてありません。これはたぶん著者が意識的にそうしたのだろうと思われます。読者の自由な発想を期待して。
 そして私は、著者のそのようなもくろみに見事にハマり、考えました。私は死んだらどのようになりたいかと。死んだ後にも人生があるかのような問いですが、あるのです、あるのですよ。どんな選択肢があり、どのような死後人生を送ることになるかはこの本を読めばわかります。
 遥か昔、たぶん中学生の頃だったかと思いますが、NHKスペシャルだったか、シルクロード番組だったかで、チベットの鳥葬を見ていたく感動した覚えがあります。私も死んだら鳥葬にふしてほしいと思いました。今でも、その考えは悪くないなと思っています。
 鳥についばまれて、地面の上に骨だけがきれいに残った私を想像します。肉や血はすべて鳥の食欲を満たすために使われ、一両日もすれば荒涼としたチベットの山々のどこかに糞となって落ち、もしかすると小さな花を咲かせる助けになるかもしれないし、ただ土として積もるだけで何の役にも立たないかもしれない。残った骨もやがて風化し土に返る。私もまた、この地球の自然の一部であり、ただの有機物であったことを、死んだときぐらいは思い出したい。そういう夢を他人に語ると、たいていの人は「そんなのやだ」「痛そうだ」と言います。だけどね、私はね、空から土への循環の中に自分の身を置くと想像すると、自分という存在の広がりと小ささを同時に感じることができてなんとも心地よいのです。墓なんかに閉じ込められることを想像しても幸せは感じられないのです。
 土に返る自分を実現するとしたら、コンポストになるってことなのかな。この本には、人間コンポストについての章があります。

死体はみんな生きている
メアリー・ローチ 殿村 直子
NHK出版 (2005/01/27)
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ISBN:4140810122