「障害児を産むことへの負のスティグマをはがすこと」へのトラックバック
もう何日も前です。taishinさんのblogに↓こんなエントリーがありました。
http://taishin.blog5.fc2.com/blog-entry-43.html
これを読んで、わたしの頭をよぎったエピソードがいくつかあり、すぐコメントを付けようと思って、いや待てよ、と。
これってどこか新優生学につながる議論かも
というところが、よく意味がわからなかったのです。新優生学が何を指しているのか、わかりませんでした。それがわからずに、何か書いたら的をはずしてしまうのかなぁ、、、と思い、コメントできず。
もう一度、読みに行って、やっぱり新優生学についてはよくわからないながらも、自分が感じたこと、考えたことについてはどこかに書いておこうと思ったのでした。思ったのですが、すぐには言葉にできそうになく、しばらく勝手に時間をいただいて、このエントリーを書くことにしました。いつまで引き延ばしても、どうせそうたいしたことは書けないだろうから、思ったことをそのまんま書けばいいや、と開き直りました。
わたしは子どもを3人産んでいます。2人目の子を妊娠したときは30歳を過ぎており、当時の基準で高齢出産にあたっていたため、医師が出生前診断の説明をしてくれました。一人目の子のときも同じ先生に診てもらっていたのですが、実にいい先生でねぇ。「姑から定期検診のときに性別を聞いてくるよう言われたのですが」といちおう言ってみたら、「僕は生まれる前に性別は言わないんです。20年以上、この仕事をしていますが、これまで1回も言ったことはないんです。これからも言いません」とおっしゃいました。わたしは思わず「すみません」と謝っちゃいました。心の中では、いくら姑に言われたからってそれをそのままこの先生に訊いてはいけない、そうだよなぁ、と先生に深く同意していました。男の子だから、女の子だから、かわいいもかわいくないもないのですから、どっちでもよかったのです、わたしは。ついでに言うと、よく「元気な子を産んでください」とか、「健康ならいい」とか、「五体満足に」とか不用意に言う人がいて、そういう言葉を聞くたびに、いちいち気になってしかたなかったのです。
お腹の中の子は、自分の身の内にありながら、預かり知らぬところで勝手に成長していきます。腹の内側を蹴られたり、中でグルンと回転しているのを感じたりすると、こいつはすでに他人である、とわたしは思ったものでした。他人なんだけれども、100%わたしに依存して生きている。姿は見えない。これはなかなかミラクルな体験で、妊娠中ずっと、そんな体験にどっぷり浸かっていられる自分が楽しくてしかたなかったのを覚えています。
話、それましたが、ここまでは一人目のときのこと。
そんな先生でしたから、「あなたが30歳以上で、これが病院の決まりだから説明するのですが」と前置きされて、羊水検査で何がわかるかということと、検査を受けるリスクについて話されたのです。で、「どうされますか?」と訊かれ、わたしは「受けません」と答えました。「そうですね」と医師は言いました。にこにこしながら。
最初から出生前診断は受けないと決めていました。迷いはありませんでした。親になるということは、そういうことだと考えたからです。そういうこととは、どんな子でも(この表現も語弊がありますが)、引き受けるというか、預かるというか。確かにわたしの子ではあるんだけども、預かり物という感覚もあり、降ってきたような感じがあり。それはただ、わたしの身の内からこの世にもたらされるということだけで、祝福されるべきものなのだという感覚がありました。うまく言えません。言葉では説明しきれない。
わたしは子どもという人種が嫌いです。うるさくて、汚くて、大人よりやっぱりどうしても頭悪いから。嫌いなんだけども、できてしまったものは産むのだと決めたからには、親なんですもの、どういう子だって育てるのです。あ〜やっぱり説明になってませんね。
子どもが大好き、子どもが欲しいといつもいつも言っていた友人カップルが、ついに待望の妊娠を果たしたとき、出生前診断を受けると聞いて、わたしは耳を疑いました。どうして?と聞きました。障害児は育てられないねと夫と話したと彼女は言いました。リスクがあるのなら、中絶するつもりだ、とも。
その友人カップルは2人とも高度に知的な専門職に就き、社会的地位も人並み以上の稼ぎもあり、聡明でバランスのとれた、わたしからみると尊敬に値する人たちでしたが、その2人が障害児は育てられないと言ったのです。不思議でしかたなかったです。子どもが好きなのに?
子どもが好きとか嫌いとかいう単純な話ではないようです。いや逆にもっと単純な話なのかもしれないのです。
(眠くなってしまったので、つづきは明日更新)