尊厳死関連:ナラティブの書き換え

国立新潟病院中島孝医師がご自分の論文を送ってくださいました。
先ほど感動のうちに読み終わったところです。

QOLの概念は確かに治癒可能な疾病においては有効であるけれども、
治癒困難でかつ不可逆的、致死的な疾病に罹った場合、
患者は、QOLの概念を捨てナラティブの書き換えを行うことを余儀なくされます。
医療職がなすべきケアは、まさにこの時点から始まるのである、
という論文です。

難病ケアに、SOL(Sunctity of life)の概念を導入する必要性を説くこの論文は、難病に限らず、医療の普遍性に訴えかけるものとしてわたしには読めました。

最終章を全引用します。(本当はこの前段も感動ものなのだけど)
この中に出てくるALSとは、神経難病の一つで、
全身の筋肉の働きが徐々に失われてゆく病気です。
呼吸のための筋肉が冒されると、気管切開をして呼吸器を装着しなければ患者は延命できません。
脳の働きはそのままですから、呼吸器を着ければ、眼球の動きなどでコミュニケーションをとることができます。
ならば呼吸器を着ければいいと考えるのは健康人の早計で、
自分で体が動かせず、意思の表明も人の手を借りなければできない状態で長く生きることを耐え難い苦痛と感じる人、あるいは場合があったり、
また気管切開をすれば、排痰などの介護が24時間必要となり、人手とお金がかかるため、家族の負担を考えて呼吸器装着を望まないという人、あるいは場合があり、
呼吸器をつけないまま亡くなっていく患者が大勢います。

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(前略)
スピリチュアルケアと心理的アプローチ

1.ALSの緩和ケア

 治療できない病気になった時に、誰もが感じうる、生命の意味の喪失感に対して心理的対応をするためには、通常の心理アプローチだけでなく、スピリチュアルケアが必要といわれています。1967年に英国のシシリー・ソンダースらによって、聖クリストファーホスピスで近代的ホスピスすなわち緩和ケアが開始されました。がんのみならず根治療法のない疾患に対して、痛みの科学的なコントロールを含んだ多専門職種ケアと新約聖書的な原理をもとにしたスピリチュアルケアが統合されました。ALSに対する緩和ケアは1968年から聖クリストファーホスピスで行われてきていますが、残念ながら、30年以上わが国に紹介されてきませんでした。

 さらに、悪いことは、わが国では、保険診療において、がんとAIDSの末期の診療を行う場所を緩和ケア病棟としているため緩和ケアを間違って理解している場合が多いようです。ALS医療での緩和ケアとは人工呼吸器を選択しなかった患者が終末期に苦痛なく尊厳死するためのものという誤解です。本来、緩和ケアは患者の尊厳死意識や安楽死願望を解消する目的のケアとして生まれました。しかし、米国やわが国では緩和ケアはターミナルケアであり、発症時点や告知場面では緩和ケアは不要であるとか、人工呼吸器療法を選択した方は延命処置されているので緩和ケアの対象から外れるなどという誤解がおきました。このため、緩和ケアは難病ケアとは受け入れがたい異なる診療原理であると考えられてきました。たとえば、米国では緩和ケアアプローチのもとでは人工呼吸器療法の保険がきかないとか6ヶ月以内に患者が死にいたらなければ緩和ケアの保険がストップされるという情報もあります。緩和ケアを「上手に尊厳死に導くケア技術とか美しく死ぬケア技術」とする考え方にはたいへん困惑させられます。今後日本に難病の緩和ケアを導入する場合には決して、このような保険制度を採ってはいけません。

 WHO(世界保健機関)は1990年に緩和ケアを以下のように適切に定義しています。“緩和ケアは根治療法に反応しない患者に対する積極的なトータルケアです。苦しみ(pain)、他の症状、および心理、社会、スピリチュアルな問題のコントロールがもっとも重要です。緩和ケアの目標は患者と家族に可能な限りよいQOLを得させることです。”さらに以下を強調しています。生きることを肯定し、死を正常のプロセスとみなす。死を早めることも先延ばしすることもしない。苦しみ(pain)やほかの悩ましい症状を除去する。ケアにおける心理的側面とスピリチュアルな側面を統合する。患者の療養中および死別後に患者家族へ援助のためのサポートシステムを提供する。これは安楽死尊厳死と正反対のケア原理を明確に示したものです。

2.スピリチュアルケアの導入

 緩和ケアの重要な要素であるスピリチュアルケアにおけるスピリチュアリティ霊性)とはなんでしょうか? 医療においてスピリチュアリティは十分議論されてきたとはいえません。SOLの考え方、新約聖書親鸞などによる「信仰による救いの原理」、カントの自律概念や尊厳概念はスピリチュアルケアを導入する際の良い基本原理となりえます。難解な哲学や宗教から離れて考えることもできます。スピリチュアケアとは自己と他者、自己と自然との関係性を再調整する作用をもたらすケアであり、どんな状態でもたとえ死に瀕していても「いきいきとした生」を支えるものといえます。ALSになり、肉体の機能が低下するにつれて、いままでの人生で自分を突き動かしてきたものは、自分自身ではなく、もっと意識の下層にある肉体的なものであり、それが自分に功利的な人生観や感情をもたらしていただけだと気づいたりします。四肢麻痺で気管切開、人工呼吸器療法をしているALS患者と面談してわかることは、「何かができるから自分の人生に意味がある」と考えているのではなく、「生きて存在していること自体がすばらしい」という境地に達しています。自然の一部である肉体と自己との関係がもう一度認識され深い考えに至っています。この気持ちは気管切開をえらばず、そのほかのケアをしながら生きている患者にも共通の目標といえます。これは、具体的にどの治療法を選んだからより幸せになるという考え方ではない境地です。カントがいった「生命は目的それ自体である」という表現がぴったりしています。自然の法則に自分をゆだねており、もはや、肉体的、功利的価値基準によっては生きていません。このようなALS患者にとって、健康や疾病、生や死などの二元論は根源的不安や恐怖になりません。これは死を目的化したり、装い美化したりすることによって死の恐怖から逃れるやり方とはまったく反対です。患者はつねに生の中にいて、まわりの世界を美しいと感じ、新たな好奇心にも目覚めています。いままで、自己に頼り生きようとしてうまく生きられなかったが、自己に頼ることをやめることで、逆に、本来の自分にもどっているというような状態です。

 一方で、いたずらに延命されるのはいやで自然にまかせたいと思い、生命の終末を自己コントロールのもとにおく尊厳死を決意すると、その瞬間に自己が勝ってしまい、救われない感情から逃れることができなくなります。つまり、自己が身体という自然を支配することになってしまい、自己を自然に任せることはできなくなります。支配された自然が支配した自己を愛すわけはなく、自分は自然から愛されていないと実感し、やりきれなくなりいっそう死を渇望してしまいます。尊厳死意識によって、このような悪循環に患者が陥ってしまうことがあり、ALS患者の療養の大きな問題となります。死しかこの悪循環を断ち切れないように思わせることで、ALSケアチームは日々悩むことになります。

 中村(愛媛大学)は、自己超越を、スピリチュアリティ概念の中核的要素として位置づけられる概念であるとしました。Elkins et al.(1988)は、人間性心理学の観点から「ラテン語でSpiritus(いのちの息吹き)を意味するスピリチュアリティとは、超越的な次元への自覚を通じて生じ、自己、他者、自然、人生、そして究極のものとして考えられるあらゆる事に関して同定可能な価値によって特徴づけられる存在と経験の様態である」と定義しました(http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/rsts.htm)。この自己超越とは優れたものになることや超人になることを意識することではありません。自己を越えるためには、むしろ自己は至らない存在で救済されるべき存在と意識することの方が容易だと過去の宗教家はのべています。

 スピリチュアルケアは一見、難しくみえますが、ALSケアのなかで、とりあえず、始めることは決して難しくありません。ケア担当者に宗教性や悟りが要求されるわけでもありません。スピリチュアルケアは宗教の有無、信仰の有無にかかわらず行いうる普遍的ケアです。スピリチュアルケアは患者からの感謝の気持ちや喜びを返礼として期待するケアではなく、どのような状態にある他者にも何時も等しくおこなう単なる当たり前のケアと考えると良いと思います。

 スピリチュアルケアをとりいれた難病ケアとは人間を何らかの価値を生み出す存在だからと考えて、援助するのではなく、尊厳自体ととらえケアするものといえます。わが国で発達した難病ケアはスピリチュアルケアをとりいれることにより、英国で確立した緩和ケアと同じケア原理をめざしていくようにも見えます。この意味において、今後難病医療だけでなく、高齢者の疾患などのあらゆる慢性疾患において正しい緩和ケアの導入が検討されるとよいと考えます。

(Takashi Nakajima, MD & Ph.D.

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