宮子あずささんの日記から

 宮子さんのオンライン日記に、緩和ケア病棟のカンファランスについて書いてありました。

事例は、四十代で亡くなった男性患者さん。私自身も、緩和ケア病棟に来る患者さんへの思いを見直す機会になったと言えます。私の場合は、管理者として、入院の適応を判定するところから患者さんとかかわるために、「がんそのものの治療をあきらめているかどうか」を常に「査定」するような姿勢になってしまうんですよ。ある意味「情け無用」みたいな公正さを自分に課していました。でも、もっと素朴に、ここに来るまでの治療経過へのねぎらいや、それをあきらめることの痛みについて、素朴に思いやりを持っていいんですよね。「本当にお疲れさまでした」。そうゆう気持ちを持って行こうと思いました。

 たとえば、患者が受けてきた治療へのねぎらい、諦めることの痛みに対し、思いやりを持つことが、caringの具体的な内容なのだと思います。現場では今のところ主に、ナースが担っているのでしょう。
 意外だったのは、宮子さんほどの人でも公正さという尺度を優先し、パーソナルな対患者関係を結ぶことに抵抗を感じていたらしいという点です。緩和ケア病棟においては、一般病棟とは違うルールがあっていいのではないかな。もちろん、喫煙可だったり、面会制限がなかったり、という表面的なルールはもうすでにあるわけだし、ナースの体制にしても他とは違う配置基準だったりするわけですが、医療者の体制や心構えといった面では、まだまだこれから考えて改善していかなければならない部分がいろいろあるのだなと思いました。一般的な看護管理理論は通用しない世界なのではないかと思われるのですが、看護学校での教育でそこまで踏み込む例は未だ聞いたことがありません。そういう本も、たぶん、出てないのではないかな。
 これは、東北大の清水哲郎さんの専門分野。今度、機会を見つけて質問してみよう。