幸福について

幸福は常に断片として立ち現れる。

――『幸福論』春日武彦

織田作之助の短編『道』を評して、

「世界の構造」を垣間見たという実感と、世界と和解するという予感とが混ざった感覚で、おそらく幸福と言い換えても良いものではなかったかと思うのである。
 世界の構造、そしてそれを垣間見た実感とはどのようなことか。街へ通うバスの停留所がその道にあったことを知ったとか、そんなプラグマティックな話ではない。日常の事物にはすべて意味があるという感情を抱いたときに、取るに足らない日々の光景であろうとそれらのディテールは深いところでつながっていて、たとえ秘められた関係性とか相関性を理解することは出来ないにせよ、すべてが尊重され大切にされるべきであると感じられる――そんな精神状態の別称である。
 角度を変えて言い直せば、どんなに卑俗でちっぽけなことであろうと、すべては詩となり得るだろうという確信のことなのである。
 いっぽう世界と和解するとは、自分がこの現実で生活を送っていくことを認め、その事実において世の中には嫌なこともあろうが楽しいことだってちゃんとあるだろうと希望を抱く心性を指す。
(中略)
 ともあれ、世界の構造を垣間見たという実感や世界と和解するという予感は、不意に訪れる。ただしそこには相応の準備状態が心の中に用意されていた筈で、むしろ潜在的な希求といったものだろうか。それに加えて、一見下らないものや無価値に映るものにも意味の奥行きを見出せるだけの想像力(おそらく見立てもまた、そうしたものに含まれる)が必要だろうし、しばしばそうした想像力は閉塞感や絶望感によって活性化される。さらに、たとえ屈折していようともある種の素朴さ(ああ、そうだったのかと素直に驚く気持も含まれる)が必要な気がしてならない。なぜなら、詩的なものとは無防備なほどの素朴さに感応する存在に他ならないからである。

――『幸福論』春日武彦

幸福論
幸福論
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春日 武彦
講談社 (2004/10/19)
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