マドンナの首飾り

 2007年夏の参院選民主党から出馬を決めた山崎摩耶氏。もともとは日本看護協会の常任理事で、id:ajisunが在宅呼吸器管理をめぐって闘った相手だ。でもって、わたしはたまたま、山崎摩耶氏のオフィスと同じビルに仕事で毎日通っていて、エレベーターで乗り合わせたり、ランチで隣の席にいらしたり、みたいなことがあったわけ。

 大変におしゃれな方で、いつもディオールだか、なんだかのブランド物のスーツをパリッと着ていらっしゃる。毎日のようにそのお姿を拝見していたわけだが同じスーツを二度見たことはない。家の中に、ウォークインクロゼットが2つぐらいないと収納しきれないはず・・・なんてな、そういう余計な想像もしてしまう(どうでもいいことだw)

 でその山崎摩耶さんが看護協会を辞めたのだか、追われたのだかわからないが、とにかく理事を辞してすぐ書いたのがこの本。

 とても伸び伸びとしていて、素直なwわたしは大変単純に「いいな!」と思ったんだけど、事情を知る人々にはいろいろと複雑な思いがあるらしい。しかし山崎さん、並みのライターより原稿が上手いです。

 では、とりあえずのメモとして抜き書きのみ。引用部分内、色文字はワタクシの手による加工です。橋本みさお語録みたいになっちゃいましたぁ〜。

 みさおの講演を聞いた各国から集まった医療従事者や患者たち、ギャラリーの反響は大きかった。
 特に患者たちから絶賛された。
 「生きる勇気を恐れない」と。
(p.23)

 この旅でみさおが強く感じたことは、
「国の内外を問わず、社会を変えることができるのは、患者の知恵と患者自身の声だけである」ということだった。
(p.32)

 二十年たってもみさおは、自分の病気を受容しているとは簡単にいわない
(p.75)

 障害・病いの受容については、細田満和子さんの『脳卒中を生きる意味』を読みながら、考えたばかり。橋本みさおさんが「いや、今でも病気を受容しているわけではないのよ」と言う言葉の中には、もっといっぱい書かなくちゃいけないことが含まれているような気がする。

 次にALS患者の呼吸器装着について。

 みさおの専門医だった佐藤は、選択の際に重要なこととして次の点を挙げている。
 〓気管切開をするかしないかは、一回や二回の話し合いでは決めない
 〓非侵襲性人工呼吸器で一年から二年は療養できる。その間に気管切開について十分検討する。
 〓気管切開を選択しなかった患者には、もし意思を変更して、気管切開を選択する場合、人工呼吸器を装着した長期療養は可能であるとの保証をしておく
 特に〓が重要だと佐藤はこれまでの長い経験から考えている。
(p.96-97)

 次に告知について。主治医(佐藤氏)が言ったことと、みさおさんの反応。

 「お嬢さんはまだ小さいから、母親の役割が重要になりますよ」、
 「生きる目標を持ちなさい」と。
 そのとき、人工呼吸器をつけた人の生きがい――ほかの人はどうしているのか、ALSの研究はどこまで進んでいるのかなどを、みさおから質問されたことを佐藤は覚えている。
(p.104)

 みさおさんは、娘さんが生まれてすぐ母親として目覚めた人らしい。わたしは無理だった。だから、もし自分が同じ立場で主治医から母親役割だとか生きる目標だとかと言われても、いったい何をどうしたらいいのか、途方に暮れるしかなかっただろうと思う。まぁ、そういう患者には、医者もそう無理難題は言わないものなんだろう。。。

 その佐藤医師の言。

 「人工呼吸器をつけるか否かはいわば生命のチョイスの問題ですから、選択する患者さんの気持ちを良く知っておくことが必要です」
 しかし、医療現場で実際はなかなか実行されていないという。それは一つの数字に表れている。人工呼吸器の装着率を見ると二十〜二十五パーセントが全国平均だが、数字の開きは病院によって百パーセント装着するところから、五パーセントしか装着しないところまであまりにも格差が大きいのだ。
 なぜそんな開きがあるのだろう。
「医師の考え方が反映して病院間の格差が大きくなるのです。でも、医療の考え方に差があってはいけない。物理的サポートがあれば生きていけるわけですから」。
「もう一つは“人工呼吸器をつける”ということをどのように理解するかです。声も出ない、何もできないとなっても、普通の生活はできる。たとえば、子どもが大きくなっていくその時どきの喜びや、日々の生きがいを感じることができるわけです。部屋の窓から見える小さな花々を楽しんだり…」
(p.108)

 ヘルパーについて。

 「……みさおさんのように福祉サービスで最高の給付を受けていても、結果的にそれは本人のケアに費やされているだけでなく、周囲の教育になっていたり、地域ケアへの参加や意欲になっていたりと、費用対効果が絶大ですよね。私たちのネットワークづくりにも資している。それを考えると安いものだと思います」。
 的を得た重信所長の言葉だが、そこにみさおレーゾンデートルもあるのだと思う。
(p.199)

 さて、そして尊厳死問題について。私が初めて橋本みさおさんの姿を見たのも、とある尊厳死問題に関する集会の席でだった。

 そのファイティングみさおに、最近、もう一つ重大なアジェンダが加えられている。「尊厳死」問題である。
 世のなかに浮上してきた“尊厳死の法制度化”にみさおは疑問を呈し、反対を表明している。
尊厳死」といえば、がん患者のことが真っ先に考えられるが、がん末期患者とALSのような神経難病では緩和ケアや死の周辺をめぐる議論は異なる。
 特に人工呼吸器のことになると、まったく状況が違うのだ。にもかかわらず同じテーブルで議論されていくことの危険性をみさおは本能的に感じている。
 ALSの人にとっての人工呼吸器は動かなくなった身体、呼吸筋障害の代替をして、人工的に呼吸をする装置だ。人工呼吸器をつけなければ死に至るから、確かに人工呼吸器をつけることは、広い意味で「延命措置」ではあるかもしれない。
 が、使用している間に自分の呼吸に同化していく器械は、身体の一部となり、“生きていく”ためのその人の自然な体外装置となる。死に向かっていく時間のための装置ではない。
尊厳死の前にALSの治療研究をもっとしてほしいね。殺すことを考えるのではなく、生かすことを、ね。学者や研究者も未来に向かって、ちまちましたことばかり考えずに、半世紀後にはALSが風邪ぐらいの病気になっているようにがんばってほしいわね。もっとがんばれ!」
 みさおの展望は明確だ。
(p.237-238)

 がん末期の医療についても、同じことが言えると思う。たとえば痛みの緩和についてはよく言われることだが、これもまだまだやることがありそうだと思うし、口渇、栄養管理など、もっとも生理的なニーズを満たすための研究がほんっとに手薄だと思う。そういうことにちゃんと対処できるようになれば、もうこんなのイヤだから尊厳死させて!みたいな人はきっとものすごく減るだろう。
 

「人間の尊厳を考えるのは「生き方」の問題であって、けっして「死に方」の問題ではないのではないでしょうか」。
 まず、みさおの「尊厳死」という言葉への反論だ。
 またALSという病気の特徴を次のようにいう。
「ALS患者の尊厳死を語るには、その前にALS患者の人権を守る議論が必要です。個人的には“尊厳をもって生きること”を求める人を否定しないし、時間に余裕のある未来があれば、私もゆったりと“人としての尊厳”について考えたいと思いますけど」。
「それに個人の“尊厳”とは内なる所有物で、個々人のものだから、百人いれば百通りの“尊厳”があるのが当然だと思う」。
 その“尊厳”の死への適用を法制度化するセンスが分からないという。
「立法化するということはそれに縛られるということではないのかしら?」。その「法制化」された「尊厳死」に人間が縛られていく状況をどう考えるのか。
「その縛られるものが内なる“人としての尊厳”であるならば、国民の一人としてノーといわずにはいられない」。
尊厳死法案と聞いて、ついハーメルンの笛吹きのワンシーンを思い出してしまった」という。
(p.239-240)

 ハーメルンの笛吹きのたとえ話は、悲しくて怖くて、身にしみた。

 ALSのように二十四時間介護が必要な患者のほとんどは家族が介護している。
 介護する家族たちは肉体的にも精神的にもぎりぎりのところにいるのだ。
 深夜にたんを吸引しようと人工呼吸器の回路を気管カニューレのところのコネクターからはずしたはいいものの、吸引のカテーテルを手にもって立ったまま、眠ってしまったという経験をもつ家族は少なくない。人工呼吸器は気管からはずしたままだ。
 ハッと、一瞬の死に至る寸前に気づいて、あわてて人工呼吸器を取りつける。こんな経験を長期の介護者なら誰でも多かれ少なかれ、もっている。
「フェアじゃないでしょ? こんな現実があるのは。最低、家族の安眠を保障して、人権を保障してから、“尊厳”や“尊厳死”の議論をしてよね」ということなのだ。
(p.243)

 
 最後にみさおさんの詩。

(ほやほやの患者さんに)
 あなたがALSと告知されたら、しっかりハッキリなさいませ
 あなたがALSでも、そうでなくても、きっと明日は来るのだから
 しっかりなさいね大人でしょ
 強くなれとは言いません でも甘えてはいけません
 あなたが病気になっただけで 病気はあなたではないのです
 病気はあなたの一部だけれど けっして全部ではないのだから
 ハイとイイエをはっきりさせて 周囲を楽にさせましょう
 私はグズが嫌いです
(p.266)

 は〜、私はグズです。やばいです。しっかりしないと〜。

 摩耶さんのあとがき。

 人は誰でもいつかは死ぬ。けれど、どんな状況にあってもそれまでは生きつづけなければならない。それが人間のレーゾンデートルだ。それならALSでも楽しく、お気楽に、勝手気ままに、と。そして、それを支える仲間たちがいた。人間はひとりでは生きていない。
 そんなひとりの人間の生き様を、自己愛もなく他者への愛も感じられず、生きがいや生きる力すら見失いそうになっている殺伐としてきた現代の、世間の多くの人にも知ってほしい。ちょっと人生に疲れたあなたにも見てほしい。
 ロングインタビューの間、私が考えていたのはそんなことだった。
(p.272)

ISBN:480582803X