4/9(月)終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会第3回

 id:ajisunが傍聴してきたメモが回ってきました。許可をとって、ここにアップします。

以下、メールから転載。



昨日私が録ったメモです。これでは、よくわからないのですが、議論の雰囲気だけですが。

――以下――

座長:国のレベルで指針を作ってこなかったのは、慎重であったから。前回の最後に木村先生が、医療者の側がやってくるべきことだとおっしゃっていた。国のレベルで何をすべきか。6回の裏ということで継続の最初の第一歩。何のためのガイドラインというか、終末期医療の患者のため。患者のためになにかをしている医療者の信頼を維持するためでもある。懸念を伝える速達が届いた。国がとんでもないことを、という恐れもあるが、このガイドラインはそんな趣旨ではない。チームで支えるということを繰り返しいっている。
何をしていないか。先送りの課題は、刑事責任を問われないか。何をしてもいいのかというか具体的な、法律に触れないかとか、は論じない。従って、ある種の期待があるが、指針どおりにしていれば考える必要がないということではない。思考停止を期待されても困る。むしろ、逆説的に終末期に至っている人をどう支えるかということについて、ひとりひとりの違いを出来る範囲をよく考えていく、悩むということを重要だといっている。指針ではない。さらに、指針を出したことで、当たり前、過去にさかのぼってできていなかった場合に影響を与えるものでもない。これからどうしたらいいかという指針。影響を及ぼさないように、したい。

菊岡:資料1と2、3ページ。ガイドライン本文の修正。参照。

岩淵:医療従事者等の等を勘案して、宗教従事者が入ることもある。等を入れる。

谷野:SWはなぜはいっているのか。いれるのなら、医療関係のいろんな方々が入らなければならない。脅迫的なものにならないか。だったら等でくくったほうがいい。

田村:社会的背景を十分に踏まえたうえで、ということでSWは評価できる。資格は総称としてSW.社会福祉士などがわかりやすい。脅迫的という意味ではないと思わ
れる。

座長:中の6.精神的、社会的側面に配慮することが望まれる。SWを入れないとチームができないということではない。SWは入れるけど他は入れないということではない。柔軟な対応ができる。趣旨はそういうこと。

谷野:誤り、SWは社会福祉士ではない。医療SWと精神Wがある。広い意味でのSWだろう。いわゆるSW.MSWの資格の範囲があいまい。

田村:

座長:等のところをどうするか。

日野:SWよりも宗教家が強力な場合もある。等を入れる。

大井:医療従事者というものが特定なものを指しているわけではない。当然、地域社会の人や宗教家も入ってくるだろうから、決定機関を作るという意味ではあまり広げられない。

永池:原文のほう、1)では、等を入れる。医療ケアチームにたとえば、SWが加わる場合。直接医療を提供するわけではないが、医療サービスを構成する一員として、入れたほうがいい。

座長:

宝住:医療従事者だけにしてSWを外す。

菊岡:やはり、ある程度は基底として医療従事者に近いいろいろな人が、入っている余地があるということをいいたい。

川島:医師が独断でしないということをよくわかるようにするのが大事。その部分は、等をいれても、SWを入れてもいい。

座長:なお書きで、なんか、という感じではあるが、SWは医療従事者ではないわけで、最初に戻しますかね。

大井:関連することで、前回も主張したが、2)の7pで、終末期の判断を誰がするのか?と、終末期医療の判断を誰がするのか?とが、ごっちゃになっている。2)だと医療ケアチームが判断をすることになっている。終末期医療を判断するのは、医師の責任だと思う。医療の選択と終末期の判断が混乱している。2)の表現、二段目の医学的妥当性について、医学的妥当性と適切性を判断するのはだれか。私は終末期の判断責任を明確にしておく必要があるとおもう。2)の表現をご検討ください。

木村:終末期医療と終末期の判断ですね。終末期というのは、医師が判断をするというが、医療ケアチームが判断をするとおもう。医師が決めるのではない。どっかからが終末期からが大事。終末期はどういうものか、どこからか、ということに議論を深める必要がある。ケアチーム、国が国として終末期を議論していく必要がある。医療ケアチームだけに判断を求めるのは難しい。各界で深める。これは病院協会の意見である。

菊池:医療ケアチームの判断が妥当か。

大井:医師に全部がわかるわけではない。過ぎてみて後でわかるのが終末期。断定してしまったらだめ。本来なら助かるかもしれない患者が助からない。独断で決めろとはいっていない。チームとして対応していくのでしょうが、そこに最初に投げかけていくのは、医師の責任と思われる。分かりやすいのは、丸の文章を医療行為の中止などは、医療従事者によって医学的妥当性と適切性をもとに慎重に判断あるべきとする。医療チームに加重な責任を負わせない。

谷野:「医療現場におけるチーム医療」というのは、どうか。アメリカでは最終判断は医師。医師の責任が重いというわけではない。明記しておかないと慎重に判断できない。最終責任をどうまとめるか。

座長:注の4、法的責任を変えようということではない。医師は法的責任が軽くなるということもない。専門家としての責任はある。なんでも倫理委員会にもっていかなければならないということではない。責任の話はしない。

谷野:医師がチームリーダーとしてどうあるべきかについては、触れないのか。

川島:触れない。プロセスを重視する。なるべくそれを性急にしない。多い人数によってじっくり、プロセスを繰り返して。いつも出てくることだが。リーダーを決めると、リーダー任せになってしまうこともある。

宝住:医師が独断で決めたと同じことになる。判断停止の場合はそのままを保つ。そこを早急に決めてしまうのはいけない。

座長:倫理委員会へいく場合はそこで決めてしまうということではない、別種の専門家が集まって客観的に判断をしていく。助言や勧告をいただく。考える。あくまでも合意が形成されて慎重にやっていく。基本には患者の希望が一番の中心にある。

谷野:ピラミッドというのはよくない。医師の独断専行とはいっていない。

座長:終末期だからといってチームを作るわけではない。いつでもチーム医療である。医師ではなく、担当の看護師さんがチームに声をかける場合もある。

まず、7の2)は大井先生のようなかんじでいく。等を入れる代わりに、SWも含みうるということに表現を変える。たとえば、という形で入れておく。

沖野:内容的にはそうおもう。だが、医療従事者という言葉は各所にでてくる。それぞれに等を入れるのか。
医療従事者という言葉は、整理が必要。それぞれのところで、等を入れるか入れないかを検討する。

菊岡:注3のところ、本当は概念の整理としてはっきりしているのか。

木村:7p注の4、今回はここまでということだが、実際に今後どうするのか。ガイドラインはいいんだが、実際に運用するときの法的根拠がないとできない。ガイドラインでは、外すということになったとき、やれない。運用できない。救急医学会でもそういう手続き論に終わっていて運用できるようにしたい。現場の人たちのために。この先どうするのか。最後のところ、本文。一回目の検討会のときに検討したが、引き続き検討する手続きを進めている。議論の余地があるが、

菊岡:難しい。そっちのほうでどこまでできるか。

座長:これ以上の書きぶりはないと思うけど。

永池:注2に、緊急時の生命の尊重を入れていただけてよかった。もう一箇所入れて欲しい。それは、9pの患者の意思を推定できない場合、意思の疎通が図れない場合、独断やある種の経済的な理由や、かわいそうだからということで、勝手にされることもある。推定できない意思確認ができない場合は生命の尊重を基本として、を入れていただけないだろうか。

川島:賛成。意識のない人工呼吸の場合、苦痛がない状態なので、積極的安楽死の条件に入らないのに、呼吸器を外すというのが、医者の間でトウゼンのように言われる。非常に危ない状況がある、意思の確認ができない場合、生命の尊重を基本にするということを入れる。

大井:そこに行ったら意見を言おうと思っていたが、2)のところ、異論がある。患者第一、その次が家族、患者にとって何が最善であるかというのは、家族が話しあい、家族の合意をえることが基本。家族の合意が得られないと何もできない。生命の尊厳を入れることは反対をしない。もし入れるのなら、家族の合意を得ることもいれる。

川島:このプロセスの、意思の決定というのは出てくるが、専門的医学的検討をふまえた上ではじまる。だから、緩和医療をやっていないのに、苦しんでいるのをみてこれはかわいそうだからという医者が、呼吸器を外してしまうというのを恐れている。それで、生命の尊重を基本として、を入れてほしい。短絡的に成るのは困る。本来であれば、患者の意思の確認ができる場合も、専門的医学的判断を踏まえてだけではなく、十分な緩和ケアを行うとか、身体症状を正しく検討した上で、などが入っていなければならない。生命の尊重を基本とした上で、は入れるべき。

座長:

日野:生命の尊重は、いつも思っていること。わざわざ書くことはない。人工呼吸器をつけたら外れないも問題。今回のレベルでは論議する時間がない。踏み込みすぎとおもわれる。生命の尊重の文言を入れる必要ない。

岩淵:生命の尊重、指摘のように、懸念できる。入れることがマイナスになるかも? 入れておいたほうがいい。そのあとで、大井さんのように合意を得るも大事。

土屋:基本的なところに入れるのではないか。そこに入れておく。3のところ、意思決定のところ、オンとオフの話、妥当性などのことを適切性のところ、入れておく。

座長:注の11.本文のところ、大井さんのいうとこ、そいこととわかるので、2)に患者の意思がわからない場合、家族の意見を参考にしては弱い。みんなで話しあっているというのが重要。本文のところではっきりさせたほうがいい。注の11では不十分。たとえば、もしあるとすれば、患者の意思決定が確認できない場合は、家族の合意が大事。それでもわからない場合は生命の尊重を、という風にしたらどうか。注に入れているのは、家族と医療者は対立しているのに、プラグ外すということではない。ガイドライン本文のとこで、完全にわからない場合、家族と医療者の合意?家族もさまざまであるが。

大井:ガイドラインの本文、現場では家族や医師が決めるが、基本が家族の意思。

田村:患者が家族を代行者に指名した場合。医療者が最善と思う場合と家族との意見の違いがある場合は、プロセスがあれば、決定に対して納得できる。つまり、大井先生がおっしゃっているように、患者がいる。その回りの医療者チームがいる。家族がいる。それが一番いいのが、みんながいいと思われるところに一致するのがいい。完全に本人がダメになっているとき、家族と医療者は対等ではない。医療者が最善を尽くすということになると思う。本人が特定の家族に対してゆだねていれば、そのときはそれでよい。そうでない場合は、こういう形の注のところで、曖昧な形で申し訳ないが・・・。
括弧2の患者の意思を推定できない場合は、参考にしてではなく、家族と合意の上でと明記すべきか。患者の最善の利益がなにかというとき。生命の尊重を基本として、と入れるのか。

大井:東海大の事件も、チームで決定していたらどうだったかわからない。ここの表現は微妙。どっちに転んでも危ない。家族の判断を参考にして、どういう風に決めてもいいとなると困る。家族の合意がなければ。なんでもやってもいいというのではない。生命の尊厳を入れるのは賛成だが、合意を得ることを基本とする。家族は一人ではないし、表現、「家族の判断を参考にして」の表現をうまくやりたい。

木村:家族の合意なしに勧めることは困難。いうなれば第三者が、感情的な理由、経済的な理由。同意というはなしではできない。チームケアでするということを勧める。生命の尊重を入れて、家族の判断を参考にして、と。

川島:生命の尊重をまず入れる。

座長:患者にとっての、生命の尊重を基本として、ガイドラインの本文のほうに入れたほうがいいということ? 川島先生は、それを入れておけば、大井さんの問題はそのままでもいいということ?

川島:家族の判断も難しい、となると、何でも意思を根拠にすべてが進んでいくのと同等にして、生命の尊重がされなければならないというのを入れたほうがいい。

永池:できたら、本文のほうに入れて欲しい。家族の判断は参考に、でよい。その理由は、意思疎通ができない人、意思決定ができない人は、家族が支えている。家族が呼吸器を外して欲しいといってきたら、思考停止で、そのままできないだろう。家族が納得したからといって呼吸器を外すということもありえる。文章の中に生命の尊重を入れて欲しい。一番よい決定を医療チームの中でする。

谷野:そのほうがいい。家族とは何ぞやを、考えないといけない。家族に判断をゆだねる場合。法的な問題で先送りになっているが、家族とはなんぞやが議論されていけばいい。

大井:反対しないけど、家族が患者の意思を推定できる場合、というのは誰も推定できないことになる。同じことになる。重い話なので、慎重にしたほうがいい。判断を参考にしてという言葉にひっかかった。かまわない。本文のほう。注に入っているからいいとなれば、患者の意思の確認ができない場合は家族が患者の意思を推定できるとされているが悩ましい。そこをクリアにする。

座長:重要な指摘である。

佐伯:生命の尊重を入れるは悩ましい。緊急時と、本文にいれるのとでは意味が違う。2のほうで入れると実態に踏み込む判断になる。反対ではない。プロセスに委ねるというのでは実態に踏み込むのがいいのか悪いのか、今後詳しく検討するということになるが。生命の尊重の文言は、プロセスのガイドラインからはみ出るということ。

座長:論点が明確になった。ここまで書いておいたほうがいいのか、大井さんおっしゃっていたことと、度言う形で伝えるか。オープン、注書きといっしょに広報して欲しい。ここだけだと、参考にして。ということがわかるように。誤解がないかなあ。本文に入れておいたほうがいいのか。ご意見を伺いたい。

川島:しつこいようだが、意思が当然大事だが、今までの問題で、身体状況がきちっと定められた条件の中にあるかわからないというのがある。身体状況をもとに再度意思確認されるわけで、意思確認は螺旋の構造をしているの。医師が身体状況を把握できるというのが、非常に大事。私としては本文に入れたほうがいい。

田村:内容に食い込むというのは同意見です。早くセデーションを希望される場合、体の状態が変化する。しかし、そうでないと判断した場合、違う感想をもたれる。身体状況に緩和策を判断した上で審議を繰り返すので、身体状況に合わせて生命の尊重の部分を本文に入れるのは、抑えるところが示されて良い。

日野:がんという疾患。疼痛を伴う疾患。神経難病、に対してのターミナルは、本人の意思確認、意思決定にしても、揺れ動くから対応、予知ができる、余計なことをしないでもすむ。扱っていて厄介なのは、認知症や高齢の老衰などだ。今回、認知症の問題などは、荷が重過ぎる。

座長:医療にとって、生命の尊重は当たり前のことと、2)に3)にも必要。1)はどうか。最善の治療方針が組み込まれていると。

大井:11注に入れて、最善の利益がなんであるか、というのを。さっきの判断を参考にして、みんな最善の医療というのを入れるのは反対。

佐伯:生命の尊重は、当たり前のこと。入れると実態に踏み込むということになってしまう。特別な意味をもつと読まれてしまう。緊急時に使うのはいいが。

岩淵:特別な意味を持たせることになるか、どうか。ないという選択肢もあるか。それと、家族の判断を参考にだが、注釈に書いてある。ただし、本文に書いてあるのと落差がありすぎる。家族と話しあうぐらいにしておく。家族の判断を参考にして、と入ってしまうから、なんだということになる。最低限度の表現にしたほうがいいのではないか。生命の尊重、尊厳はいいですか?

座長:なんらかの形で、生命の尊重を入れておきたいというのはわかる。だが最小限でよい。当たり前の話だから。症状が安定して、という場合だ。症状が動いているときはそうならない。

木村:家族の判断が心配。そうすると、治療中心で、となるのが。

佐伯:ありえない。一般的な懸念としては、ガイドラインを定めることにより、生命軽視の方向に進むというのがある。歯止めを置くことに反対しない。

南:逆に読まれた場合まで考えてしまう。ここは最低限にして、現状で医師がひとりで暴走しないように、家族がなにかを主張したりすることにして、何らかのプロセス、注10とか11に丁寧に書かれている。ここまでかなという印象。

沖野:最善の治療方針を基本として入れる。最善の治療方針を入れる。佐伯さんの特別な意味を十分に明確化できるか。最初の段階で弊害がないといえないのではないか。基本的な指針として、ここに入れ込むのは検討したい。

谷野:別の検討会で、最善の医療というのが、果たしてなにかということになった。重いテーマを全文に入れないほうがいい。当たり前のこと。医学において最善の医療をどこでどのように、?別のところでそういう議論が出ました。
先ほどの現場の混乱。最終的な判断が難しいという事例。癌の疼痛コントロール。あくまでも生命の尊重となると長持ちさせることになる。それは怖い。強調して欲しくない。

川島:緩和医療は完全にできる。苦しんで最後をむかえるというのは医者が下手。十分な緩和をしていれば、安楽死を認めることはない。そこは混乱を招く。逆に、ここに生命の尊重をはじめに基本にしているのだったら、やはり本文に入れるほうがよい。最善の治療ということがわかりにくいので、もう一方に重みをつけたほうがいいのではないか。

日野:緩和医療は40%前後実施できるが、その文言がその反対の、残りの緩和医療をしない先生に誤解をされるのは怖い。緩和医療をきちんとマスターしてもらえばいいが。「生命の尊重」が、痛みを続けることになるのでは。

川島:いや、緩和ケアができる医師は18%?(16かも)前後だ。

沖野:最善の治療の内容を明らかにする。

座長:等については、整合性から、注釈をつけていく。

沖野:注10.家族をどう考えるか。

谷野:p6.2

大井:p6.終末期医療。SWの話がでてくる。ここに肉体的な苦痛がでてきて、p8に緩和ケア、精神的な苦痛も大きいので、ケースワーカーが求められる。

座長:注7.積極的安楽死問題については、入れない。
確認する必要がある、p6の基本的な考え方。座長である私に任せるということになると思うが、SWがケアチームに入ることはありえる。改める。ふたつめp9.家族の判断を参考にしてというのが、家族と話し合うとする。最善の治療方針、生命の尊重の文言が逆に理解されることもある。考えさせて欲しい。お任せ願えないだろうか。注3のところで書き込む。注1のところに。

谷野:ここでいう、ターミナル、子どももあるだろうし、こういう認識でいいのか?
非常に奇異なのは、後期高齢者を取り上げるというのは、後期高齢者医療と終末期医療とがごった煮なっている。

医政局長:環境整備。価値観、死生観も多様である。難しい問題。その中で、方針決定の『プロセス』がでた。患者さんの意思、情報提供の重要性も。