016:母が重くてたまらない

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き
信田 さよ子
春秋社
売り上げランキング: 24910
おすすめ度の平均: 5.0
5 大共感! 同時に問題の深刻さも…
ISBN:4393366255

 カバーを取って中の表紙を見たら、あぁそうなんだよ!と。母たちの呪文が渦を巻いているのです。
 ちなみにこの中で、わたし自身が母から言われたことのあるセリフは、「あなたのことは誰よりもよく知っているんだから」「だまされるに決まってるじゃないの」「あんたは役立たずだから、ママに任せなさい」「私のは墓守は頼んだよ」。
 極め付きは「ほめられたからって、いい気になるんじゃないよ」。これ言われると、ほんと落ち込むのだ。ちっちゃいころからずっとずっとこんな風に言い聞かせられ、そして今でも言われている。だけどこれが母の呪いの言葉だということに気づいたのはつい最近だ。気づいて以来、母のことが頭から離れない。どうしたらいいのだろう、とずっと考えてきた。だからこの本を読んだのも当然のなりゆき。
 これ、書店に行って買ってきて見てくださいよ。図書館じゃ透明カバーが貼り付けられちゃって見えませんよ。わたしの場合、装丁からして、自分が受け入れられている感がありました。

 正直なことを言いますと、最後の「墓守娘への処方箋」を読んで、わたしは泣きました。

 アンビバレントな二つの感情は相反する認知に基づいている。怒りは、「不当に母親から支配されてきた、過酷な人生だったのは母のせいだ」という認知に基づいている。いっぽう罪悪感はもっと複雑である。「母は私を愛しているからこそあのようにしたのだ。母の愛を信じられない私が悪い」という認知と、「母を支えるのは私しかいない」という認知が絡まりあって生まれている。言い換えれば母性愛幻想と「母にとってかけがえない私幻想」の混合、アモルファスである。

 自分のことだから自分で何とかしなければ、という十二分の努力によってやっとここまでたどりついたのだ。それはほめすぎるということはないほど大変なことだった。「よくやってきたね」と“自分で自分をほめてやる”こともいいだろう。離れ小島であれば、逼塞した状況であれば、そんな陳腐なことばしか自分にかけてやれないことはよくわかる。
 しかし、自分の努力でここまで歩いてきたことと、自分で自分をほめてやることは同一線上で起きている。どう考えてもマッチポンプに過ぎないだろう。いつかエネルギーは枯れるに決まっている。私たちは自己完結などしていない生き物なのだから。母親たちは娘を使って生きたが、墓守娘たちは、母ではない存在の他者と、おずおずと、用心しながらつながることしか収入を得る道はない。

 ここで言う「収入」とは、これまで母との関係において支払ってきた経費に対する概念である。

 長年かかってやっと母への怒りを自覚し、がんばってそれを否定しないようにした。だからこそ、思い切って母に思いのたけをぶちまけたい、私がどんな思いで生きてきたかを、思い知らせてやりたいのだと。彼女たちは単に怒りをぶちまけたいだけなのだろうか。カウンセリングの場で、実はそれだけではないことをいつも思い知らされるのだ。そこにはやはり罪悪感の残滓が色濃くみてとれる。そして彼女たちの願望も見え隠れする。
 「お母さん、どうか私の言うことをわかってください。私はお母さんの言うとおりにはできません。こんなにつらかったことを、お母さんならわかってくれるでしょ」と母には言いたいのだ。思い切ってこれまでにないきつい口調で言えば、母もびっくりして理解しようとするだろう。そうすればもっと母親と仲良くできるかもしれない。
 「だってたった一人の母親ですから……」
 これが墓守娘たちの、正直な願いなのだろう。 

 この本で信田さんは、団塊女性を母親世代として念頭に置いたと書いている。彼女たちの抱く女性の生き方観、理想の人生観というものが、ロマンティックラブイデオロギー(RLI)に依拠しており、それが娘に対する支配へもつながっていくのだということが書かれてあったのは、もしかしてフェミ界では当たり前のことなのかもしれないけど、わたしにとっては目からウロコで、なんかすっきり厚い雲が晴れたように思えた。
 あーこの人にカウンセリングしてもらいたい!