062:今かくあれども

今かくあれども
今かくあれどもMay Sarton

みすず書房 1995-02
売り上げランキング : 163301

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
82歳の日記 独り居の日記 猫の紳士の物語 私は不死鳥を見た―自伝のためのスケッチ Recovering: A Journal

ASIN:4622045907

 主人公はカーロという名の女性で,元教師。何歳だっけな,高齢だ。妹夫婦の家だったかなにかに寄せてもらっていたのだけど,折り合いが悪くて高齢者のグループホームに入った。入居者はほとんどが認知障害をもっている。自立心旺盛な彼女は,ホームに住み込みで働いているヘルパーに嫌われる。陰湿ないじめに遭い,それをノートに書きつければ被害妄想だと言われ,懲罰的な仕打ちをされて彼女はだんだんと生きる気力を失っていく。
 物語はカーロのひとり語りとして綴られている。実に実に陰鬱なトーンで。150ページぐらいしかない,そんなに長い作品ではないのに,この世界のことを読むのがイヤでたまらなくてなかなか読み進められなかった。イヤなら途中で読むのをやめればいいはずだが,わたしはそうはしなかった。カーロが最後にどうなるのか,どうしても結末を知りたかった。
 安易に「わかる」とは言えない。だけども想像はできてしまう。強い痛みを伴う想像だ。なぜ痛いのかといえば,これはいつかの自分自身かもしれないという考えから逃れることができないからだ。ただ,カーロと自分を重ね合わせて考えをめぐらすのはおそらく,女が大半なのであろうと,思う。男にはたぶん,わからない世界。意地の悪いヘルパーも女で,カーロも女で,わたしも女で,互いが互いを疎ましく思いつつも,互いがもしかすると自分かもしれないと知っている。こんな変な世界は男たちには無縁。
 なんかもうちょっと,老いに希望はないものなのか――。

 以下,抜粋。

 数日前,あの考えを書きつけたときは慰めになった。けれどいまの私は,そんなにけっこうなことがここでは起こりっこないことを知っている。老齢とは,ひとつずつ断念してゆくことだ,と人はいう。けれど,一度にそれがすべて起こってしまうと異様だ。これは人格にたいする真のテストであり,独房に閉じこめられることに似ている。私がいま所有するものといえば,すべて心のなかにしかない。
(p.9)

 それから,死ぬまえに,自分の内部ですませておきたいことがある。人間は,ひとりひとりが自分の死を創る,死に向かって熟してゆき,果実が熟したときはじめて落ちることを許される,というのが私の信念だ。いまもって,人生はプロセスだと私は信じているので,不自然なやりかたでその行程を終えたいとは思わない。たぶん私は,旧式なのだろう。そこから私は,自殺は一種の殺人,つまり怒りの行為ではないかと考える。心を腐らせるそんな汚れからは,私の魂を遠ざけていたい。でもまてよ,私の魂だって? そんなことばをつかって,いったい私はなにをいおうとしているのだろう。
 心のどこか深いところにあるなにものか,真正で,どんな不純なものからも離れていて,正と不正,真実と偽りの区別をするために人間にあたえられた道具――記憶が失われたあとでさえ生きつづける本質的な存在。私の魂とは,私が守りつづけるべうあたえられた宝物,私がなにものにも汚されることなく保つべきなにか――いや,どんな逆境にあっても,成長と自覚のうちに私が保つべきなにかと考える。
 けれども,いったい誰のために? そしてなんのために? それこそ神秘というもの。それがより大きな統一体,星々や蛙や樹々をも含むコミュニオンに属していると考えることができたときはじめて,それを「宝物」として守りつづけることに意味があるように思える。ときどき私は窓外の美しい景色のなかに,自分が溶けてしまうような気がすることがある。私はそのなかを浮遊する。一時間ものあいだ,なにもしないで,じっと安らぐ。そうして,滋養をあたえられて甦る。あの大昔からのやさしい丘たちと私はひとつだと。
(p.14-15)

 それは一目惚れというよりむしろ,即座の識別であり,愛とは異質だろう。私たちはおたがいを楽しんだ。それまで経験したことのないやりかたで,私は大事にされ賛美されていると感じた。
(p.29 過去の恋愛の回想)

・・・けれどスタンディッシュにはどんな慰めがあるだろう。私は彼のために死を願うけれど,彼が逝けば,私はここで唯一の友を失うことになる。私には自分がいまでも役に立つ,誰かに必要とされているという幻影が必要だ。私たちの絆は彼の耳が聞こえないために脆くはあったが,リアルだった。私があの暗い部屋から出てきたとき私を握りしめた彼の手――あれを私はけっして忘れないだろう。私たちにことばはいらなかった。私は自分にできる唯一のやりかたで彼を弁護したのであり,彼はそれを知っていたから。
(p.75 ホームの友人スタンディッシュの死に際して)

 老齢というものは,実は老人自身にしか見破ることのできない偽装だ。私の感じかたはいままでと少しもちがわないし,二十一歳のときと同じに心のなかは若いのだけれど,外側の殻がほんとうのわたしを隠し――ときには自分自身からさえ――私の内部深くにいる人間を,しわや肝臓のシミやその他あらゆる凋落の兆しで裏切る。私は,以前よりももっと強烈に物事を感じるようにこそなれ,その逆ではないと思うことがある。けれど,馬鹿のように見えることがとてもこわい。人びとは老人に平静を期待する。それが,年寄りに着用を期待されているマスクだし,ステレオタイプだ。けれど,何人の老人が平静でいられるだろう。私は一人か二人しか知らない。
(p.90)