ハーツ・アンド・マインズ

 ベトナム戦争は1960年の終わりから75年にかけて、インドシナ半島において繰り広げられた戦争で、ちょうどわたしが小学校に入ってニュースを読むアナウンサーの言葉がだいたいわかるようになった頃が、最も戦闘の激しい時期でした。日本でも、NHKの朝晩7時のニュースでは、毎日のようにベトナムの戦況を伝えていたものです。

 子どもは覚えようと思わなくても何でも覚えることができてしまいます。わたしもその一人で、カンボジア内戦ラオス侵攻、北爆再開といったあたりの流れは、完全に暗記していて、父の会社の部下が家へ遊びに来ると得意気にテレビや新聞で得た知識を披露していたものでした。

 そういうわたしの記憶に登場する最初のアメリカの大統領はニクソンです。いま、ベトナム戦争の簡略年表を眺めながら、「テト攻勢」「ソンミ村」という単語は耳から聴いた覚えがないことに気づきました。ホー・チ・ミンという南ベトナムの大統領が死んだというニュースは覚えています。年表によれば、そのときわたしは7歳だったようです。

 「ハーツ・アンド・マインズ(原題:Hearts and Minds)」は、1974年にアメリカで公開されたドキュメンタリー映画です。ということは、ベトナム戦争もまさに佳境の頃につくられ、公開されて、その後終結に向かったという意味でもあります。現在進行形の戦争を描いたということを抜きにして、この作品のことは語れないような気がします。

 まだ世界の読み方を知らなかったわたしにとってあの戦争は、同じアジアで起こっているとは言っても、遠い国のできごとでした。人の名前や地名や、さまざまな戦争用語で説明できるできごとでした。大人になり、大学で国際関係論を学んだものの依然として通り一遍の知識しかなく、さらに二つの会社勤めを経てフリーランスのライターになったとき、それまでほとんど小説しか読んでこなかったわたしがノンフィクションの作法、手法を知るために手当たり次第に読んだうちの一つが、青木冨貴子さんの『ライカでグッドバイ』。この本で初めて、あの、川を渡る母子の写真が澤田教一という日本人カメラマンによるものだったと知りました。「あの」とは、見たことがあったからです。確かに見たことがある、と思いました。でもいつ、どこで見たのか、そのときは深く考えもせず、あああれはベトナムの写真だったのか、日本人が撮ったんだ、というほどの感慨に終わりました。

 澤田教一があの写真を撮ったのは、1965年。ピュリッツァー賞を受けたのが翌1966年とのことです。おそらくその後に、わたしは父が買ってきた雑誌か何かで、あの写真を見たのでしょう。

 青木さんの本の前だったか、後だったかは定かでないのですが、やはり同じ頃に、ニール・シーハンの『輝ける嘘』が上下2巻で発行され話題になりました。元ニューヨーク・タイムズ記者で、ペンタゴン・ペーパーの連載を担当した人です。ずっしりと重たい本でした。開高健さんのベトナム関連本も読みました。

 戦争のことは、「わかる」とは言えない。それがわたしの正直な感想です。

 この映画にも見覚えのある映像が出てきました。ナパーム弾で焼けただれた赤ん坊の皮膚をかき抱くようにして農道を逃げ惑う母親の姿。たまらなかった。目を覆いそうになりました。しかし、一方でわたしは、「ああ、この映像は見たことがある」と思いました。最初に見たときに何か感じたはずだけれどもいまそれを思い出せないのが不思議でなりませんでした。母親というものが自分の産んだ子の蒙った、致死的で理不尽なダメージをどう受け止めるのか、本当のところ、想像できなかったのだろうと思います。いまだって、赤ん坊を抱いて逃げていたあの母親の痛みが、どれほどわかっているかと言うと、はなはだ心許ない。

 繰り返しますが、戦争について、いまこの日本に生まれ暮らしている自分には「わかる」とは言えません。ただ、戦争は「起こる」のではなく「つくられる」ものだということがよくわかる映画でした。

 あの時代のあの空気のなかで、このような映画を製作したアメリカのメディア人の矜持に感じ入りました。この映画は公開の翌年、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲っています。こうした作品をきちんと評価する人々がいたというのが、アメリカという国のすごさでもあります。浅いように見えて、懐の深い国。

 いまのアメリカ、ひいては日本のメディアに、戦争という大きなテーマにおいて、国家を告発する勇気があるだろうか、と思うと、自分もメディアの片隅の人間でありながら、まったく自信がありません。

 わたしが20代の終わりにフリーランスになった頃にはすでに、メディアの自主規制は深く潜行しており、「天皇」と書くときには一呼吸おいてよく考えてから、というような空気がありました。慣れというのは恐ろしいもので、「触らぬカミにたたりなし」といったん態度を決めてしまうとあっという間に思考停止状態に陥りました。

 闘う気力など無いも同然です。自戒も込めて言うならば、それ以前の問題です。

 いまの20代、30代は、この映画を“反戦”映画の一つとして観るのかもしれません。なぜこの映画がつくられたのか、つくることができたのかという視線で、作品そのものの意義について想像してみることができるのは、わたしの世代がぎりぎり最後なのかもしれないと思います。

 ハーツ・アンド・マインズについて書かれたもので、わたしが比較的好きだったのがコレです→ http://www.outsideintokyo.jp/j/review/peterdavis/index.html
 IMDbによれば、マイケル・ムーアがあるインタビューでインスパイアされた作品の一つとしてこの映画を挙げているみたいです。

東京都写真美術館で、7月16日(金)まで。

 IMDbのリンク→ http://www.imdb.com/title/tt0071604/

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