向谷地生良

「がんばる」という言葉を封じ込めなくてはならなくなってきた今という時代に、なんとも言いようのない不自然さ、違和感を感じます。言っていいんですね。「がんばる」「がんばれ」と言っていい。


2005/03/05 at津田塾大学 講演会にて

 向谷地さんのこの言葉について、同じくこの講演会を聴いていた医学書院の白石氏から、次のようなご指摘をいただきました。

正確に言えば、べてるの「がんばる」は「がんばろう」ですね。
内向する努力ではなくて、共同性に開かれたところで言われる言葉ですね。

 そうなんです、そうなんです。「がんばる」という言葉は話者と聞き手が共有する指向として語られないと、息苦しさがつきまとうことになる。ここは大事なところです。「がんばれ」と言ってもいい。だけど、がんばれと言う心の内には、メッセージの受け取り手への共感がなければいけない。そうじゃないと、とてもつらい言葉になってしまう。

 順調に苦労は起きるんです。窮地に陥った時も、「これで順調なんだ」という感覚を持っていられればだいじょうぶ。何かが起きて当たり前。それでこそ順調なんですね。


2005/03/05 at津田塾大学 講演会にて