『病んだ家族、散乱した室内』
今日読み終わった本。もう眠いので、書評はまた今度。とりあえずは印象に残ったところを引用しておきます。
まるで前の職場の上司S氏のことが書かれているようで、思わず唸ったのが以下の部分。奴にここをコピーして送りつけて、感想を聞いてみたいものだ。
それこそ相手を電卓だとか鋏だとかテープレコーダーと大差がないものと考え、相手が同じ人間であることなどにまったく頓着しない精神の持ち主がときおり存在する。
そういった人物は、当然のことながら礼儀を欠く。表面的には礼節を守っているように振舞うことはあっても、基本的にまったく失礼である。相手を尊重などしていないから、ときとしてとんでもない要求を突きつけたり、驚くばかりに居丈高な態度を示す。無情であり残酷であり、品性を欠く。相手を戸惑わせる。こうした人たちはおそらく広義の人格障害といえるかもしれないが、いずれにせよときおり遭遇する。そして言うに言われぬ不快感を我々にもたらす。(p.82)
いやはや、あまりにも的を得ていたので、いきなりこの本の本質とは言いがたい部分を引用してしまった。
次はまじめです。病者を抱える家族への訪問と介入にあたって、困難にぶち当たった場合、援助者はどうすればよいかということを述べています。
問題は一人で抱え込まずに同僚と共有し、さまざまな視点をもった人びとと連携を図らねばならないことになる。おそらくそのようなときには狭量な主義主張は意味をもたない。どれだけ場数を踏んだかといったことや担当者の人柄といった、どこか非科学的な要素のほうが大きく作用するような気がしてならない。論理の理解と非論理への共感の双方がなければ、適切な判断は下せないだろう。(p.100)
精神障害者への援助に「魔法の方法」はないということについて。人事を尽くすことで自信が生まれ、天命を待つことができると後のほうにも書いている。
魔法の方法なんかないと知ることは、一種の自信につながり腹を括ることにつながるのである。あとは自分の可能な限りにおいて納得のいくだけの手を打つ。それしか方策はないのだし、またそのような態度にはこちらの精神的余裕が反映しているから、理屈で思う以上にすんなり事が運んだりする。
こうなってくると、話はもはや運命論的になってしまうのだけれど、どこまで知識やマニュアルが通用し、どこからは「あとはなるようになるさ」と楽天主義的態度を取るべきか見定めること、これがけっきょくは解決の難しそうな問題に対する「大いなるコツ」ではないかと思うのである。(p.105)
以下の視点は、別著『幸福論』(講談社現代新書)へとつながっていくのであろうか。
質素だけれども堅実な生活に心の安らぎを覚える人もいれば、うさんくさくとも派手で経済的な豊かさに彩られた生活を望まずにはいられない人もいるし、創造的な手ごたえや充実感といったものを頼りに人生の意味を見出していく人もいる。刹那的な喜びを追いつづけていなければ気が済まない人もいれば、そんなことにはたちまち虚しさばかりを感じ取ってしまう人もいる。幸福や不幸といったものは、一概に規定できるものではない。(p.191)
当たり前のことが書いてあるんだけど、こうして言葉にされて読んでみて、さてわたしは何を幸せと感じ、何を不幸と感じる人なのだろうかとしばし考えた。うつ病前後で、幸福と不幸の基準がずいぶん変わったような気がしている。これについて書き始めるとどこまでも長くなってしまいそうなので、今日は「変わった」とだけ書いておこう。
以下は、地域に住む精神障害者を援助する人、たとえば保健師、ヘルパー、医師などについての言。著者の春日武彦は医師(現・都立墨東病院神経科部長)。この本は、主に精神保健福祉センターでの経験をベースとして書かれている。フィールドに出ていた人でなければわからないであろうことがたくさん書いてある。
世の中には葛藤もなければけっして寝覚めの悪さなんか感じない援助者もいるのかもしれない。が、わたしはそのような援助者をうらやましいとは思わない。「寝覚めが悪い」というきわめて主観的な感情が生まれる背後には、じつは「援助者としての矜持と迷い」といった我々の行動原理が集約されており、その感情はけっして相手に感傷的な押しつけを強いることを意味してはいない。「寝覚めが悪い」といった感覚は、援助者の尊大な態度を象徴しているのではあるまい。むしろそうした感覚が重視されなければ、我々の仕事は機械的かつ責任感の希薄なものに堕してしまうのではないのか?
やれやれ。残念なことに援助者というものは、押しつけか迎合か、第三者からはそのどちらか両極端としか理解されない二者択一を迫られる場面に立たされることが稀ではないのである。(p.202)
そして結びである。
じっと待つことのできるだけの精神的なタフさをもてるか否かは、まぎれもなく事態の展開を左右する。
結論だけを言ってしまえば、援助者が心の余裕をもてるかどうかがじつに重要な鍵であり、そのためには「とにかくひととおりのことはおこなった。自分の気持ちに正直なかたちで、考え得る選択肢はすべて検討した。ないものねだりをしても仕方ない、あとは待機するしかないだろう」といった思いに至れるかどうかが肝要となる。(p.210)
我々の仕事を支えるもののひとつとして好奇心が重要だと第1章で述べたのも、それが充実感とか心の余裕といったものに関与してくるからにほかならない。使命感だけで働いていても、それではちっとも楽しくないし「ゆとり」ももてないし、するとケースの展開も何かせせこましくなっていってしまう。そんな実感こそが、現在のところ、わたしが働いてきたうえで得ることのできた貴重な結論なのである。(p.211)
人の経験をこうして本で追体験できることに感謝したい。